人生の楽しみ方について寄稿頂いたものを掲載していきます。
2019.10.25〜31
高松 - 大三島 - 西栗倉村 - 大垣
2020年3月10日
寄稿者:田中 宗一 (NPO法人 チームまつば 理事長)
2019年9月16日
寄稿者:田中 宗一 (NPO法人 チームまつば 理事長)
2018年7月13日
寄稿者:小池 芳規
群馬県出身、1950年生れ。1969年 上京。1973年 都市銀行入行。1986年 松葉町に移住。1988年 松葉町五丁目町会会長。2002年 松葉中学校PTA会長。2013年 財団退職 至る現在。
20180617 小池芳規
まつばRでは、「奥の細道」読書会に毎月一度参加しています。6月中旬に久しぶりに
学生時代の友人7名と山陰地方の島根県(隠岐、石見、出雲)を旅行しました。主目的は諸国一宮神社を訪問することです。水若酢神社(隠岐一宮)由良比女神社(隠岐一宮)物部神社(石見一宮)熊野大社(出雲一宮)出雲大社(出雲一宮)以上の各地一宮神社に参拝しました。その他隠岐の焼火(たくひ)神社、黒木御所(後醍醐天皇配流地)「壇鏡の瀧」、(だんきょうのたき)及び隠岐ジオパークビジターセンターも見学しました。
隠岐諸島は、東側の島後(どうご)という島が一番大きく、西側の島前(どうぜん)地区には西ノ島、中ノ島、知夫里(ちぶり)島が集まっており、隠岐全体で約2万人が生活しています。陸地が形成されたのは約600万年前であり、2013年にユネスコ世界ジオパークに認定されました。特に素晴らしかったのは島前の西岸に7kmにわたり断崖・絶壁・洞窟・奇岩が続く国賀(くにが)海岸でした。観光船により沖から観光できました。
どこまでも澄んだ青い深い日本海でした。
写真1(壇鏡の瀧)、写真2(由良比女神社)、写真3(焼火神社)、写真4(国賀海岸)
写真1(壇鏡の瀧)
写真2(由良比女神社)
写真3(焼火神社)
写真4(国賀海岸)
歴史的には隠岐の島は平安時代以降流刑地であり、多くの有名人が来島しました。
歌人である小野篁(おののたかむら)は隠岐に流される当時の心境を百人一首11番に残しています。
「わたのはら八十嶋(やそしま)かけてこぎいでぬと人にはつげよあまのつりふね」
また鎌倉幕府成立後、歌人としても著名な後鳥羽上皇が北条執権政治打倒を目指したが敗北し隠岐配流となりました。(1221年承久の変)その後20年以上隠岐にて生活しましたが京都に帰れず崩御。その100年ほどたった元弘の変(1331年)の際、後醍醐天皇が配流されましたが、黒木御所等に1年程在島した後脱出に成功鎌倉幕府を滅亡させました。(建武の中興)
写真5(黒木神社入口)、写真6(玉若酢神社)、写真7(水若酢神社)
写真5(黒木神社入口)
写真6(玉若酢神社)
写真7(水若酢神社)
隠岐の2日目の夜西ノ島の旅館に宿泊しましたが、そこの女将が話好きの方でNHKBSの「こころ旅」という番組のロケで火野正平が旅館経営のレストランに来訪した話や、ローカル局の取材で玉木宏が食事をしたときのビデオを見せてもらいました。また西ノ島出身の女優田中美佐子(実は私は30年来の彼女のファンなのです)の写真も見せてもらいました。女将と田中美佐子は中学の同級生とのことでした。
3日目は本土にジェットフォイルで渡りました。出雲大社、熊野大社、にも行きましたが大田市(おおだし)物部神社(石見国一宮)にたどり着いて対面したパーソロン(日本競馬界屈指の種牡馬)像を見たのは驚きでした。知る人ぞ知るシンボリルドルフの父です。
物部神社は古代、蘇我氏との抗争に敗れた物部氏の初代宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が祭神です
写真9(パーソロン像)、写真10(物部神社)
写真9(パーソロン像)
写真10(物部神社)
ジェットフォイルの到着港七類港を下船、鳥取県に属する境港駅が賑わっていました。その先に伸びるお化けの世界、「水木ワールド」でした。漫画家水木しげる氏は数年前に亡くなりましたが彼の残した「暖かい妖怪の世界」がずっと続いていました。小さいお子さんお孫さんを連れて是非お出かけ下さい。
写真11(堺港駅前)、写真12(ねずみ男と作者)、写真13(貧乏神)、写真(14フェリーよりの隠岐)
写真11(堺港駅前)
写真12(ねずみ男と作者)
写真13(貧乏神)
写真14(フェリーよりの隠岐)
2018年2月24日
寄稿者:佐藤 慎悦